桐生の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

群馬県桐生市歴史探訪
桐生市の概要
桐生市は群馬県の東部に位置する市です。平成の合併により桐生市中心部と新里町、黒保根町はみどり市をはさんだ飛地となっています。桐生市は織物を中心栄えた街で、古くから“桐生織物”と呼ばれる絹織物の名産地として知られ、「西の西陣、東の桐生」と並び賞されました。その歴史の古さ、文化財の多さ、特長などから“東の小京都”といわれています。現在では自動車関連部品やパチンコ関連産業といった機械産業が発達しています。また野球が盛んなため“球都”と呼ばれています。

桐生のあゆみ

市内からは縄文後期の遺跡として有名な千網谷戸遺跡が発見されており、同年代から平安時代にかけて人々が生活した跡が残されていました。遺跡からは数多くの品物が出土されましたが、なかでも粘土で作られた耳飾りは非常に精巧なつくりをしており、国の重要文化財に指定されています。平安時代にはこの土地が桐生と呼ばれていたであろうことが、平安後期の文献の中にある桐生六郎という人物の名から推測されます。
桐生市の名産品である“桐生織”の歴史は古く、いつ頃から生産されていたのかは定かではありませんが、文献では奈良時代の東大寺献物帳に『和銅7年(714)上野の国(現在の群馬県)があしぎぬを朝廷に献上した』ことや『延喜5年(905)にあしぎぬを税として納めるよう指定した』ことが記載されていることから、以前より織物の生産が行われていたことがうかがえます。130年代後半には養蚕業や絹織物業が栄え、仁田山絹という織物を上野の国外に移出していました。これについては外部から新しい技術が伝えられた為といわれており、“白瀧姫伝説”という伝承が残されています。慶長5年(1600)に徳川家康が石田三成討伐のため小山にいる軍を関が原へ引き返す際、数の足りなかった軍旗を桐生の村々から僅かの時間で調達したといわれています。江戸時代に入ると、生産者の増加や流通の拡大により桐生織物は発達していきました。年々開催される市は大いに盛り上がり、桐生織物の素晴らしさは“京の西陣、東の桐生”と並びうたわれ、ますます全国に広まっていきました。現在でも桐生は織物や染色、縫製などの優れた技術を持ち、桐生織物の発展をすすめ“ファッションタウン桐生”を目指しています。また近年では自動車部品の製造やパチンコ関連産業などの機械産業も発達しています。なかでもパチンコ台の生産台数は全国で1位で、大手産業も桐生市内に本社を構えています。

桐生市の名前の由来
桐生という地名の由来は、この地方が山間部にあるため、朝夕霧のが多く発生するため“霧生”の名が転化したとされる説や、桐の木が多く生えているので“桐生”の名がうまれたという説があります。



桐生市の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
黒保根村歴史民俗資料館
住所: 〒376-0141
群馬県桐生市水沼乙175 [地図を見る]
電話番号: 0277-96-3125
開館時間: 10:00〜16:00
※平日の来館(火〜金曜日)は黒保根支所へお立ち寄りください。
黒保根支所教育事務所
0277-96-2501
休館日: 毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、祝日の翌日、年末年始(12/28〜1/4)
入館料: 大人 100円、小・中学生50円
(20名から団体料金:大人50円、小・中学生30円)







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